バース  スージー・クアトロ

女性ロックバンド

(2017年01月11日更新)

  • 大阪に住んでいた時に、キタの街をよく徘徊していた。 お初天神で酒を飲んで、ふらふらとあるいてクラブに行ったりしていたのだが、泉の広場を上がってすぐのビルにあるクラブクアトロを見ては、中島らもさんのエッセイを思い出していた。 このエッセイサイトを作るきっかけにもなったらもさん著の「しりとりえっせい」の中に、「クアトロ」というタイトルがあって、その中でジャニス・ジョップリンという、1960年後半にアメリカを席巻したロック歌手について触れていた。 その影響で僕はジャニスという歌手の曲を聞き、すっかりファンになった。 彼女の歌声は古びたブランコを漕いだ時のような、定期的に風を受けるやさしさときりきりした金属音のようなインパクトがあり、駅のホームで聞いていた「Me And Bobby McGee」の優しい歌声と激しさが若かりし僕をよく上げてくれた。 ジャニスきっかけで女性ロック歌手というジャンルが好きになった。 女性ロック歌手と言えば、このエッセイのvivamovieという映画評「ランナウェイズ」でも書いた、「チェリーボム」という一度聴いたら頭から離れないフレーズを持つランナウェイズが有名だが、スージー・クアトロというお姉さまが彼女たちの少し前からUKシーンで活躍している。 日本でも70年初頭に来日を重ねたこともあり、好きな人も多いのかもしれないが、アメリカではそこまで売れたわけではないので、ロック史の類からは埋もれてしまって、音楽が好きな人でも知らない人が多くなってしまったのだが、僕自身の感想を書けば、なかなかの美人で、やや下品な歌声もロックで好きだった。 代表曲の「ワイルドワン」をyoutubeとかで聞いてもらえば、そのさわやかささえ感じる曲調の中にある、彼女の下品な歌いまわしがイイ感じで曲をロックに仕立てているのが分かり、このころの女性ロックバンドの特徴が盛り込まれているので、興味があったら聞いてもらいたい。 「ランナウェイズ」の映画評でも書いたことなのだが、このころの女性ロックは演奏が下手で、同じリフとインパクトのあるフレーズでごり押してくるところがあり、これが病みつきになってしまう。 技術よりも魂という、ロックの本来の良さを感じて、好きな人にはたまらない魅力があるのである。 日本でも遅れてZELDAやSHOW-YAなんかが出始め、プリンセス・プリンセスで知名度を確立していくガールズバンドだが、今ではもはや当たり前にライブシーンで活躍している女性バンドの方々の演奏は、男性のそれと比べても遜色がない。 女性だからロックができない訳ではないことを証明してくれているわけだが、しかしその上手さが、逆に違和感を感じたりしてしまうのは僕だけだろうか。 正直「SCANDAL」何かは、可愛くて上手いのでもはやクアトロ姉さんとは別次元に感じてしまう。 それはそれでとても良い傾向ではあるのだが、僕個人としてはただやりたいことをやっているというスタイルを持つバンドにある種のノスタルジーを憶えるので、不格好な格好良さのあるバンドも見たいものだと思ってしまうわけである。 しかし、ロックというジャンルも随分歴史のあるジャンルになったなあと思う。 バンドブームの頃に台頭してきたバンドはもう、還暦まじかの人もいるというし、僕が夢中で聞いていたビートルズやストーンズは孫がそろそろ活躍しそうかという年齢になっている。 日本のロックシーンの代表である矢沢栄吉さんや内田裕哉さんも、みての通りのおじいちゃんになってしまった。 ロック黎明期は、粗削りでスパイシーな魅力があったが、今では演奏力も上がり、一つのジャンルとして確立され、すっかりおとなしいものになってしまったが、それも当然の話なのかもしれない。 そんな今でも、スティーブ・ウィンウッドやストーンズの曲をかけてしまう。 半世紀前の曲だというのに、今でも聞いてうれしい気持ちになれるのは、音楽の強みであり凄さでもあるのではないだろうか。 そんなことを感じながら家のCDコレクションを眺めながらかける曲を探していたときに、やはりジャニス・ジョップリンという人は別格だったなあと思う。 本当にすごい才能を持った人がいたからこそ、後ろに道はできるのかもしれない。 補足ですが、昔スージー・スージーというバンドがあって、「リトルスージー」という曲を聞いたときに衝撃で、グラム・ロックさながらの導入に「このバンドは売れる」と思っていたのだが、結局それ以来音楽を聴くことがありませんでした。 今聞いても女性ロックバンドの良さを詰め込んだ曲のように思うので、興味がある人は聞いてみてください。
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