神々と男たち

監督 グザヴィエ・ボーヴォワ
出演 ランベール・ウィルソン
制作 2011年フランス

日本から眺めると、本当に御伽噺のような物語である

(2013年03月13日更新)

  • 国境なき記者団というNGO団体が発表した、2011年度の報道自由度ランキングにおいて、日本は22位と大幅に順位を落としたと、日曜の東京以外でやっている番組で教わった。 順位を落とした理由は、そのテレビ番組によると、福島第一原発の政府報道のあり方に問題があるそうで、役所から降りてくる情報のみを報道する今の日本の報道姿勢に、物申した結果と言えるのかもしれない。 因みに日本と同順はスリナムという国だそうで、北朝鮮は178位でした。(ウィキペディアより) 報道の自由というのは、ジャーナリスト全員が持つべき良心であり、彼らはそれに命をかける。 最近も戦場の姿を報道するために、紛争地域で亡くなられた女性ジャーナリストの方がいらっしゃいましたが、その強い信念が、社会の実情を示し、勇気とともに僕たちのようなただの傍観者を深く感動させ、奮い立たせる。 その順位が下がっているというのは、経済だけでなく、日本人の精神まで鄙びてきたようで、何だか残念な気がしてしまう。 確かに現代人は、意識の上ですっかり経済に支配されてしまったのか、「命をかけて」や「信念の元に」というような話が、まるで御伽噺のように感じられる時がある。 自分の一生は一度しかないので、その貴重な時間を他人に遣ってしまうのはどうか、と言う論調が社会に蔓延している。 本来聖職者のはずの学校の先生でさえも、退職金が下がるからと、2月の卒業生を待たずに退職する人が少なからずいらっしゃる、というのだから、来るところまで来たか、という感じはしないでもない。 聞けば退職金の差も50万程度しかないというのだから、それこそ、第一の人生は晴れやかに終えて、第二の人生で50万程度ならば頑張って働けばいかがか?と思ってしまったりする。 まあ、人のことなので大きなお世話ではあるのだが。 信念のために闘うことや、人のために施すことが、何だか損をするかのように感じられる社会というのは、いかんせんうらびれた感じがして、嫌だなあと思う。 しかし、日本の報道は、先の大戦時に、嘘の大本営発表を垂れ流していた経緯があり、その垂れ流しで多くの命が奪われたのも事実なので、できれば信念のない人間はペンで戦わず、金で戦っていただきたいと思う。 正義を盾に闘う人は、それなりの覚悟がなければ、周りや社会を不幸にするだけである。 しかし、信念に基づいてペンで戦う人間を、僕たちは尊敬をしなければならない。 その人は、僕たちよりも遥かに特別な人なのだから。 信念の末、理不尽な死を告げられる人々に対し、自分はどう思うのだろうか? そのような疑問に対し、実直に答えてくれる映画が「神々の男たち」である。 キリストの修道士たちは、イスラムのテロ集団の暴力に対し、徹底的にNOを突きつける。 1996年にアルジェリアで起きた事件を元に構成された物語は、修道士7名の、信念に基づいた行動に深い感動を覚える。 仲間が怪我をしたために修道院を襲撃し、医者を連れ去ろうとしたイスラムのテロリストは、修道士にコーランの一節を上げ、キリスト教徒とイスラム教徒は隣人であると説く。 イスラムのリーダーはその言葉に、武器を置き、帰っていく。 強い意思を秘めた人間の言葉は、暴力さえも凌駕する。 日本から眺めると、本当に御伽噺のような物語である。 僕もその一人なので、僕はジャーナリストにはなれそうもない。
■広告

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

DMMレンタルLinkボタン あらすじLink MovieWalker
 VivaMovie:か行へ  関連作品:アレクサンドリア