ラ・ラ・ランド

監督 デイミアン・チャゼル
出演 ライアン・ゴズリング エマ・ストーン
制作 2017年 アメリカ

人間の根幹はいつの世も変わらない

(2017年08月22日更新)

  • 先日アウトレットショップに家族で行ってきた。 男性というのは何かを買うときはあらかじめ決まっているものだが、女性は大抵探しながら決めていくので、一般的に買い物の時間が長い。 奥様もその例にもれず、僕は大抵いつも待たされるのだが、とある店で奥様の買い物を待っていると、ジャニスのミー・エンド・ボギーマギーのカヴァーが流れてきた。 オリジナルはもともとスローなバラードではあるが、後半に移るにつれて激しくなるジャニスの魂はまさにロックそのもので、なんだか懐かしい気持ちになった。 学生時代に本当によく聞いた音楽だった。 一緒にいた息子にBGMに合わせて歌ってやると、なぜかけらけら笑う。 何故笑うのかは不明だが、日曜の晴れたお店で気分が少し上向いてきた。 僕は大学時代にビートルズから始まる60年ロックにはまった。 1990年ごろに大学時代を送っていたので、30年も前の音楽を10代の僕が聞いていたわけなのだが、何となくだが肌に合う音楽が多くあった。 青春時代はそもそも音楽を愛するものなのかもしれないが、僕は音楽だけでなく映画も好きで、その両方にかかわれるレンタルビデオ店でバイトをしていた。 バイト先なので気軽に映画や音楽を借りることができ、それを利点と当時の僕は毎日映画を観ていた時期があった。 どうしてあんなにも映画や音楽が好きだったのかは、もう思い出すことはできないが、音楽を聴くとよみがえる思いがある。 大学時代の僕は、バイトと酒と彼女に没頭していた。 その他のことはどうでもよかった。 余り裕福でない家に育った僕は、大学生でまだまだ親のすねをかじっていたはずなのに、どこかで自立したような気になって、いろんな場所に行って、いろんな経験を重ねることに夢中だった。 2か月で60万の金をためて買ったバイクで、僕はどこか自分が映画の中のジェームス・ディーンさながらに、何かに逆らって生きていくつもりになっていた。 しかし、実際はどうかというと、大阪と神戸をただ行ったり来たりしているだけの、ただの自由な時間を過ごしていた学生に過ぎなかった。 漠然と抱いていていた夢は「小説家」か、ある程度の収入を得られる普通の社会人だった。 しかし僕は学生時代に少しの小説しか書かず、真面目に大学にも通う事も無い、ただのそこらへんにごろごろしている、中途半端な学生だった。 何もしてこなかった僕だが、あの頃はとにかく好きなものであふれていた。 それが誰に受け入れられなくても、好きなものを好きという事が出来ていた。 今もそれは変わりはないとは思いたいのだが、あの頃のように好きなものを好きと思うこと自体少なくなってきていると思う。 世の中はこんなにも素敵なものに溢れてきらきらと輝いているはずなのに、どんよりとした曇り空の、森の中のように光も無く、湿気がシャツにまとわりつくような不快感に襲われながら毎日を過ごしている。 ふいに聞いた好きだった音楽は、今ではもうそっと身を隠し、いつかもう一度僕が聞く日を待ってくれているような気がした。 音楽には昔の思いや経験みたいなものがこびりついていて、その音があった時代を思い出させてくれる。 そしてもう一度僕は原点に立ち返って、好きだったものを思い出す。 感傷的な始まりは夜にこのエッセイを書くからかもしれない。 でもそんな若かった思いを振り返るのもたまには良いかもしれない。 では本題。今回の映画紹介は「ラ・ラ・ランド」です。 映画は後世にも残るであろう名シーンの、渋滞の高速道路で何故かミュージカルする所から始まる。 この映画のテーマは若者の夢である。 内容を本当に簡単に書いてしまうのだが、夢を追い求める男女が出合い、恋に落ち、やがて夢がかなって別々の道を歩むというもので、改めてこう書いてみても陳腐な印象だが、アカデミーを含めた賞を数多く受賞しハリウッドで高評価を受ける。 なぜこの映画がこんなに高評価なのだろうか。 その一つの要素に、ノスタルジーがあるのかなあと思うわけである。 映画の楽しさは、単純なエンターテイメントとしてもあるが、他人の人生に自分を投射して、感動を共有することができることにあると思う。 どこかの女性が、あるサッカーファン達に対して「自分の人生、他人に投影してんじゃねえ」みたいなことをSNSで書いて叩かれていたが、人が社会性のある動物である以上、映画やその他いろんなもので自分と他人を合わせていくことは自然だし、あっていいことだと思う。 映画を観るという行為は、他人の人生に自分を合わせることで感動や、思いが育つわけで、同時にそれが人の知性を形成していると思うので、多分おっしゃられた女性は知性は必要のない方なのか、他人に人生を合わせる必要もないくらい素晴らしい方なのかもしれない。 多分後者だろうが。えへ。 分かりやすい例を書きたくて逆に話しがそれたが、作中にジェームス・ディーンの「理由なき反抗」が出てくる。 若い人はこの映画の主人公さえ知らないと思うのだが、(僕の奥様は、家に飾られているジェームス・ディーンの写真を、ずっとリバー・フェニックスだと思っていたようです)泥臭さと独特のにおいを感じるこの映画のテーマは若者の社会への反発と、苛立ちといったところで、日本で分かりやすく言うと尾崎豊の世界感である。(尾崎も知らないですかね?) 劇中にジェームス・ディーンを登場させることで、主人公の若者が「大人は汚い」「社会は間違っている」という理由のない反抗がこの映画の底に流れていることを予見させる。 主人公の男はジャズを愛し、ジャズが滅んでいく今の時代に対し社会が良いものを理解しようとしないと嘆き、女性は自身の純粋な夢である女優への道に向かいながら、上手くいかず、若さゆえのまっすぐな思いを持つ男性に惹かれていく。 二人は純粋な気持ちで、しかし自分が本当に正しく歩けているかが分からなまま、日々を戦っている。 しかし思いは純粋なだけでは保つことができず、やがて互いを思いながら袂を分かつことになる。 やがて二人は夢を叶える。 若者が夢を追いそれを果たした時、目の前にあるのは理想だけではないことを物語は教えてくれる。 しかし、二人はそれぞれが愛し、信じたものを今も大事に持ち続けている。 二人の若者の物語は、きっと誰しもが持っていた思いと重なり、またかつて自分にもまっすぐな思いがあった事を教えてくれる。 そしてどんな結末になろうとも、大好きなものはきっと未来の自分を豊かにしてくれる。 僕は音楽を含め好きだったものが沢山あったのに、今では多くを失ってしまっている。 好きなものを持ち続けることの難しさを思い出し、また好きなものを作ることは若者の特権なのかもしれないと映画を観て思うわけである。 この映画はそういった意味では、好きだったものや夢を持っていた人には響く映画なのかもしれないと思い、同時にそういったものを持っていない、金と欲だけしか持ってこなかった、どこかの議員さんのような人には響かないのかもしれない。 30年前と今では随分時代が変わってきたのだが、だけど人はそんなに大きく変わってはいないのかもしれない。 若者は夢を見て、年寄りは夢を思い出して微笑む。 人間の根幹はいつの世も変わらない。 そして映画の根幹も。
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